ネットの診断結果によると、僕はグレーゾーンアスペルガー(発達障害)に該当する。
僕自身も自覚していた事なので結果に関しては納得している。
むしろそうだと分かった事により自分についての理解が深まったのでありがたいとも思っている。
でもこの性格や気質を「発達障害」という言葉で表現される事については異論がある。
“障害”という言葉で表現されると、自分が社会に取って必要のない存在であるように聞こえるからだ。
僕が自分で長所として捉えている良質な部分まで否定されているような気持ちになる。
これは僕個人の尊厳に関わる問題だから疎かに出来ない。
「アスペルガー」という表現に関しては、この障害の研究をしていた小児科医のハンス・アスペルガーの名前が由来だから別に構わない。
むしろ自己顕示欲が強い僕にとっては、超人ヒーローの名前のような肩書きをもらった気がして嬉しかったりもする。
僕はさらにアスペルガー気質が持つ天賦の才能に注目して、「ギフテッド」(平均よりも、顕著に高度な知的能力を持っている人のこと)という認識で自分の特性を肯定する事にしている。
僕たちアスペルガー気質の人間は大部分が定型発達の人たちで構成された社会での生活に困難が伴う。
だから障害というマイナスなイメージを持たれてしまいがちだけど、僕は人と違う脳機能を持ったマイノリティーな存在にすぎない、と思っている。
僕たちアスペルガーが生まれてきた理由は、この世界に仕掛けられている社会的洗脳に気付き、人を不幸にするシステムの不具合をチェックして、それをメンテナンス、あるいはイノベーションを起こすための役割があるからだと思っている。
おそらく僕たちアスペルガー気質が持つDNAには、社会的洗脳に気付き、そこから覚醒しようと努力した各時代の先祖たちの遺志や思想が保管されている。
だから僕たちは、定型発達の人たちよりも比較的自分たちに仕掛けられている社会的洗脳を察知して、直観的に物事の本質的な部分を理解する事が出来る。
アスペルガーが抱える自閉症的傾向は社会的洗脳から身を守るための手段であり、蚊帳の外から先入観なく社会を観察するためのアプローチにすぎない。
定型発達の人たちはその時代の社会システムに追従して生きていく事を選択した人たちだから、本心とは違ってもその時代の常識に合わせて生きていく事が出来る。
しかし僕たちアスペルガーは本心と違うのであれば、社会に合わせて自分を誤魔化す事が出来ない。
社会に合わせようと本心を誤魔化せば、すぐに生き辛くなる。
たとえ社会不適合を余儀なくされても、自分を誤魔化さずにこの社会と対峙し続けなければいけない運命なんだと思う。
定型発達の人のような人並みの幸福は望めなくても、自分に付与された才能を発揮して、この世の中に何かイノベーションを起こすような取り組みを見つける事が出来れば、それがきっと僕たちの幸福になる。
これは僕がアスペルガーとして生まれた存在意義を問うために考えた事だから、根拠となるものは何もない。
僕は自分の直観的理解を信じているので、他人にそれを証明するための根拠を必要としない。
なかなか共感は得られないだろうけど、同じアスペルガー気質の人なら分かってくれるかもしれない。
社会的認識がある便宜上、仕方なく「発達障害」という言葉で表現する事はあっても、僕自身がこの言葉を受け入れる事はない。
僕たちは障害者ではないからだ。
辛い時もあるけど、その度に自分の特性を理解し、その特性を肯定して、自分の尊厳を自分で守っていく。