あらすじ
東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘する。その後、海上に巨大不明生物が出現。さらには鎌倉に上陸し、街を破壊しながら突進していく。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、“ゴジラ”と名付けられた巨大不明生物に立ち向かうが……。
【監督】庵野秀明
【キャスト】長谷川博己、石原さとみ
神は細部に宿る。
『シン・ゴジラ』はシンプルなストーリーだけど、登場人物の台詞やシーンの描写から読み取れる情報量がとにかく多い。
毎回観る度に新しい発見と謎があり、それが鑑賞後も尾を引いて、ふと何かの折に『シン・ゴジラ』について考えている事がよくある。
何度目かの鑑賞時に、僕は『シン・ゴジラ』で語られる“ゴジラ”対“日本”という構図が、自分の内面に巣くっているジレンマそのものである事に気付いた。
「この日本(世界)の現状は何かおかしい、歪んでいる」
「だから壊して新しい世界に創り直さなきゃ……」
僕は小さい頃からそんな感じの厭世観みたいなものを持っていた。
ゴジラはそんな自分の気持ちを象徴するような存在。
映画の前半部分では東京の街を破壊し尽くそうとするゴジラの衝動に共感し、ある種のカタルシスのようなものを感じる。
でも後半になって東京がいよいよ壊滅的な状況になった時に、僕はその破壊後に立て直すべき日本(世界)の新しいイメージを自分がまだまったく思い描いていない事に気づいて愕然とする。
変化をもたらす破壊はもう始まっている。
君はこの世界をどうする?
どうしたい?
映画の日本政府も現実世界の僕もその答えを出せないまま、荒ぶるゴジラの破壊衝動だけは待ったなしでどんどん増幅していく。
「待ってくれ、ゴジラ!」
「まだ壊さないでくれ!」
そんな僕の気持ちとリンクするように、劇中の終盤で日本は苦肉の策としてヤシオリ作戦を決行する。
しかしそれでも事態は解決へ向かうのではなく、とりあえず一旦停止の状態で保留されたままだ。
僕はこのヤシオリ作戦のシーンでいつも胸が熱くなり、無力な自分の思いを主人公の矢口蘭堂と自衛隊に託して涙する。
「こんな日本(世界)はおかしい!」
「このままじゃ日本(世界)が危ない!」
「日本(世界)をどうにかしたい!」
SNSを見ていると、そんな書き込みがそれこそ無数に溢れている。
でも何をどう変えたら日本(世界)がよくなるのか?
どんな日本(世界)であれば理想的なのかを主張する人は少ない。
『シン・ゴジラ』はそんなジレンマを抱える人たちの集合的無意識を庵野監督が汲み取って出来た作品なのではないだろうか?
現状維持は嫌だ、でも理想が何かわからない!
ゴジラが現れる事はなくても、現状に疲れた集合的無意識が持つ破壊衝動はゴジラに変わるものを必ずこの現実世界に差し向けて来る。
僕たちにその準備と覚悟は出来ているのか?
僕は『シン・ゴジラ』という映画からそんなメッセージを受け取った。
来たるべき変革の機会(破壊)までに、自分が理想とするものをもっと明確にしたい。
凍結したゴジラが目覚める日はそう遠くない気がする。