仙台に住んでいた20代の頃、ブログで連載小説を書いていた。
今より拙い文章だったけど、自分が体験した苦い恋愛話をネタにしたら、わりと評判が良かったので、何作かアップした事がある。
「アタシの体験も小説にしてくれないかな?かなり面白いと思うよ」
僕の小説を読んでくれた知り合い女の子から、そんな依頼をされた事もあって、調子に乗った僕はその依頼を引き受けて、他人の物語も小説にした。
彼女は当時18歳。
ギャルっぽい見た目の子で、僕と同じ会社でアルバイトをしていた。
小説化したのは、彼女が高校の時の恋愛体験。
会社の休憩室で彼女から話を聞き、どんな体験だったのか?手紙に書いてもらった。
それをもとに物語を書き始め、ブログにアップする時は、書いた内容を一度彼女にチェックしてもらった。
彼女の恋愛体験はかなり重くて辛い内容だった。
彼女のプライバシーを考慮すると、手紙の内容どおりには書けないところもあった。
書けない部分は事実を修正して、想像で話を展開した。
彼女の小説はそれまでに書いた小説よりも長い連載になり、原稿用紙で換算したら200枚くらいになっていた。
連載をはじめた頃はアクセス数も多く、反響も大きかった。
でもだんだん物語が深刻になる後半からアクセス数が落ちていった。
それはたぶん彼女が本当に伝えたい事を、他人の僕では伝えきれなかったからだと思う。
十代にありがちな重い恋愛話。
彼女に配慮した結果、その程度の物語になってしまった後悔がある。
それでも一応完結して、彼女も喜んでくれたけど、彼女が書いた手紙の言葉と物語の方が、僕が書いた小説よりも刺さる内容だった。
人に文章を褒められて調子に乗り、他人の大事な物語を小説化した僕は、ただ余計な事をしただけなのかもしれない。
「アタシは文章がヘタだから、自分で自分の気持ちをうまく書けない」
彼女に手紙を書いてほしい、と頼んだ時、彼女はそう言っていた。
でも彼女が書いた拙い手紙の言葉と物語の方が十分過ぎるほど僕に刺さった。
大事なのは本当に伝えたい思いの強さなんだと思う。
思いが強ければ、彼女がそれまで覚えて使い慣れた言葉と文法だけで十分人の心を刺すものが書ける。
いくら本やネットで知識を増やしても、人が体験的に気付いた事や感じた物語には勝てない。
想像だけではそれ以上のものは書けないな、と僕はその時思った。
彼女とはじめて会った時、僕は彼女の事を、どこにでもいるギャルくらいにしか正直思っていなかった。
彼女と話して彼女の小説を書くようになってから、10歳くらい年下の彼女が、僕よりも全然底の深い人間的魅力を持っている人だ、と気付いた。
今はすっかり疎遠にはなってしまったけど、結婚して子供もいる家庭を築いたみたいだから、あの物語の続きが幸福なものであって良かったと思っている。
人には誰にでも物語がある。
その物語を一番上手に語れるのは、その人自身の思いの強さと言葉だろう。
伝えたい思いが強ければコミュ症でも関係ない。
舌足らずでも伝わるし、拙い文字でも伝わる。
伝えたい思いの強度がその人の言葉を研いで、聞く人、読む人の心に刺さる。
だから自分の事は自分で語らなければいけない。