オカルト・スピリチュアル 芸術

映画『沈黙‐サイレンス』信仰が揺らぐ時

投稿日:2019-08-04 更新日:

あらすじ

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕らえられ棄教(信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取り締まりは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々― 守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは

監督:マーティン・スコセッシ 

キャスト:アンドリュー・ガーフィールド, リーアム・ニーソン, アダム・ドライヴァー

不都合な現実を前にした時、神への“信仰”を持つ事は本当に有効なのか?

『沈黙‐サイレンス』はそんな事を問わずにはいられない映画。

僕はキリストが提唱する“救い”の教えも、ブッタが提唱する“悟り”の教えも、頭では理解する事が出来ても、それを実践して実感する事が出来る人はほとんどいないと思っている。

二人の教えは確かに素晴らしいし、信じて実践する価値はある。

しかし幸福を得るための手段として二人の教えを理解しようとすると、不都合な現実が起きた時にその信仰が揺らぎやすくなるのもまた然りだ。

物語では信心深いキリスト教徒たちが、その信仰心によって次々と死んでいく。

この世に神が実在して、本当に神の御加護があるのであれば、こんな事は起こらないはずだ!

残された信者たちにはそんな動揺が広がる。

キリストが提唱する“救い”の教えもブッタが提唱する“悟り”の教えも、きちんと理解して実践すれば、教えを受けた人の絶対的幸福は約束されている。

しかしキリストとブッタが遂げた死は、聖典が示す神格化された物語の中にあって、磔と食中毒(毒殺の説もある)という人間的な悲劇も内包している。

二人のそんな悲惨な死を前にして、彼らを崇敬する信者たちはひどく動揺し、当然のように嘆き悲しんだ。

僕はこの事が“救い”の教えも“悟り”の教えも、結局は昔から連綿と続いている人間の営みに対してほとんど機能しないものだという証明になってしまったような気がしている。

どちらの教えも絶対的幸福を保証するものではあるけど、物質的な豊かさを求める人や相対的な幸福でしか満足できない人には何の効果もない。

キリスト教信者たちが有難がるロザリオや踏み絵には何の意味もない。

そこに神の意志もなければ、奇跡の顕現もない。

それはただの木で出来たシンボルでしかないのだ。

僕はキチジローの冒涜的行為こそ現状を打破する救いの手段であり、ロドリゴ神父の改心こそ現状を打破する救いの教えだったと思う。

依然として宗教が人を救えず、人間が作る社会から不幸が消えないのは、絶対的幸福の有り方を教えた偉人たちの死に方が、教え自体とは矛盾する現実となって、信者たちにトラウマを与えるからではないか?

教えの核心を理解した者には良薬であっても、妄信した者には毒にしかならないのが宗教なのではないか?

宗教が抱える矛盾、信仰第一主義に陥った宗教者の功罪を、僕はこの映画にまざまざと見た気がする。

キリストやブッタに限らず、優れた教えを提唱した偉人たちは、その理想の高さゆえに常にその時代の社会から抹殺されるような形で死を迎えている事が多い。

それでも人は信仰を持たないと生きていけないのか、その尊い教えだけは広く伝わり、根強く生き残っている。

社会から偉人たちを抹殺したのが自分たちでなくても、偉人たちを社会から守れなかった共犯意識が信者たちの中にある限り、信仰はいつかどこかで揺らぐ。

私たちと一緒に幸福になりましょう

そう言って自分たちが信仰する宗教へ勧誘する人は、全ての人が自分たちと同じ信仰を持つまで不満を募らせる事になり、決して幸福にはなれないのだ。

その事に気付いた時、きっと彼らは信仰を放棄して絶望する。

それでも世界を救いたいなら、自分が神になってあらゆる苦難を背負う覚悟をしなければいけない。

そしてなおかつそこに幸福を感じる事が出来てはじめて、キリストやブッタが実感していたであろう救いや悟りの境地に達する。

これは到底無理な話だ。

だから僕は自分の幸福は自分で探すしかないと思っている。

あらゆる偉大な教えは参考程度に頭の片隅に留め、決して鵜呑みにする事はせず、自分だけの幸福論を確立して、自分自身に向けてそっと静かに唱えている。







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