僕にとって資本主義とは人間一人一人の欲が集まった怪物のようなものだ。
お金を産み出す資本(土地・施設・設備)を持った資本家たちが怪物の頭部。
その資本家たちが作った製品やサービスを売る商業資本(小売業・卸業)が怪物の体。
それを売買するためのお金という信用を創造して流通させている銀行は、怪物の体に血を送る心臓。
そして生産された商品やサービスを利用する消費者が怪物の手足となり、この資本主義という怪物は際限なく欲を喰らい続ける。
欲を喰らい続けた怪物はその体がどんどん巨大化して、最後には自らの重みに耐えかねて自滅するか、自然の脅威に打ちのめされて倒される運命にある。
資本主義システムは生産・販売・消費という3つの行動サイクルによって成立する。
この3つの行動がバランス良く回っているうちは、景気が安定する。
でも資本は有限だから、資本家が資本の獲得競争を続ければ、次第に3つの行動のバランスが崩れて、いずれ必ず大恐慌を引き起こす事になっている。
大恐慌によって、資本の分配が再調整され、不況を乗り切った人たちによってまた3つの行動サイクルが始まる。
資本家たちがその資本の獲得を他国に求めるなら、何らかの口実を設けた侵略戦争を他国に仕掛けるだろう。
その口実、大義名分作りは主にマスコミが担う事になるわけだけど、そのマスコミ自体も資本だ。
資本主義社会では質の良い資本を多く持っている人が圧倒的強者になれる。
資本の獲得競争による勝敗はあるけど、資本を持たない一般労働者よりは強い。
資本家は労働者が労働力によって生み出した剰余価値(労働者の労働力の価値(労賃)以上に生産した価値)で利益を得る。
資本家は出来るだけ多くの人に労働者になって欲しいから、学校では資本主義のルールを教えない。
資本主義のルールは教えずに、資本主義社会に適応した、ステレオタイプの労働者を教育するためのプログラムを組む。
そして勉強して良い大学、良い会社に入れば将来幸せになれると口酸っぱく喧伝する。
ステレオタイプの労働者になれない人には、発達障害、不良など、とにかくなんでもいいから理由をつけて、社会的価値のない人間というレッテルを貼る。
そうして自尊心を傷つけられた人たちは、将来自発的に路頭に迷うような生産性のない生き方を余儀なくされる。
たとえ生活保護を受ける事が出来ても、生産性がないと見做された人は生きる屍のような人生を送るようになるだろう。
生まれた時から当たり前の事として受け入れてしまった社会である以上は仕方がないのかもしれない。
資本主義はみんなが欲の怪物になる事を望んでいる。
欲を捨てられないのであれば誰のせいにも出来ない。
唯一責任があるとすれば、それは資本主義という概念を創造した人だろう。
しかし、いずれこの怪物は自然の法則によって倒れる。
資本主義とて自然の法則である創造と破壊のサイクルを越える事は出来ない。
相次ぐ自然災害は、資源を食い尽くそうと暴走する資本主義を止めるための浄化だと僕は思う。
人間に自然の法則をコントロールする手段はない。
ただ自然の法則を理解している人が新しい時代を創る強者として生き残ると思う。