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『吾輩は猫である』 ~漱石に見る諦念と達観

投稿日:2020-09-30 更新日:

精神科医の岡田尊司さんの著書『愛着障害』を読んで、日本を代表する文豪・夏目漱石が「恐れ・回避型の愛着スタイル」に該当する可能性がある事が分かった。

僕も愛着障害の診断テストを受けると、愛着不安と愛着回避のスコアが高く、漱石と同じ「恐れ・回避型の愛着スタイル」に該当する。

おそらく僕の繊細過ぎるHSP的特質もこの「恐れ・回避型の愛着スタイル」に起因する症状だと思う。

愛着不安と愛着回避が共に強い「恐れ・回避型愛着スタイル」は、対人関係を避けて引きこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定なものになりやすい。

一人でいることは不安で、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり傷ついてしまうという矛盾を抱えている。

自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、その一方で、人に頼りたい気持ちも強い。

不安型の人のように器用に甘えられず、かといって回避型のように超然とばかりもしていられない。

人間嫌いなのに、人と関わり、相手を信じようとするばかりに、そこで傷つくことが多くなる。

親しい関係になって、相手を求めたい気持ちが強くなるほど、うまくいかなくなる。

漱石も僕と同様に自分のことを表現するのが、とても不器用だった。

だから僕も漱石もブログや文学作品という体裁をとって、間接的に自分の傷ついた心を表現しているのかもしれない。

漱石の作品は、いかに自分の正体を見破られないように隠蔽しつつ、かつ自分を表現するかという二つの相反する要求の微妙なバランスの上に成り立っていた。

自分の飼っていた猫の目線で、主である自分自身を客観的に語る『吾輩は猫である』はまさにそうだと思う。

漱石にとって『吾輩は猫である』に登場する猫は、僕が「嗤う狐」と呼んでいるもう一人の自分と同じ存在であり、偶然に体得した、客観的に自分自身を観察するためのマインドフルネスのようなものかもしれない。

物語の中で、吾輩である猫は自分の主人がいずれ胃潰瘍にやられて死ぬ事を悟る。

そして猫は主人が残したビールを飲んで酔っ払い、誤って水瓶の中に落ちてしまい、あっけなく溺死する。

どうやら吾輩は珍野家にある大きな水がめに落ちたようである…

苦しくて苦しくて脱出を試みたが…水がめのふちはかなり上にある

水がめの内壁には爪は立たず、飛び上がっても脱出できそうにない…

じっとしていたら沈んでいき溺れてしまう…

こんなものは拷問だ、馬鹿げている…

吾輩は諦めることにした…

もうよそう…すべてを自然に任すのだ…

次第に楽になってくる…苦しいのか、ありがたいのか…

自分がどこにいるかもわからない…ただただ楽である

そしてその楽すら感じなくなってきた…

吾輩は死ぬ…

太平に入るのだ…

死んで太平を得る

いや…死なねば、太平は得られぬ…

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…

ありがたい、ありがたい

諦念と達観が入り混じったようなこの結末に、僕は漱石が抱えている病弱さゆえの死の不安と、そうなるくらいならいっそ酔っぱらって楽観的に死にたい自死への憧れが同居した複雑な心境を見た気がした。

僕も漱石同様胃腸が弱く、ストレスがかかるとつい酒を飲み過ぎる。

だから他人事ではない。

『吾輩は猫である』が完成してから3年後に夏目家で飼っているモデルの猫が死ぬ。

そしてその約8年後、漱石は最後の小説『明暗』を執筆中に胃病の悪化によってこの世を去った。

僕は漱石のような優れた文才に恵まれなかったから、なおさら漱石と同じような道は歩みたくない。

今後も勉強を続けてなんとかこの愛着障害を克服して、終は今よりのんびり穏やかな暮らしをしたいと思う。







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