哲学・思想

この国は民主主義でよかったの?

投稿日:2021-03-08 更新日:

漫画で読破シリーズの「日本国憲法」を読んでいたら、日本人が幸せに生きるための国家運用って、本当は民主主義じゃないような気がして来た。
国民が主体的に自分たちが理想とする社会を実現させるために、選挙で代表を決めてより良い社会を作る民主主義。
なんか良い感じ。
今まではなんとなくそう思っていたけど、日本人って主体的に自分の食べたい物ややりたい事すら決められない人が多いでしょ?
あれ食いたい、これ食いたい
あれ欲しい、これ欲しい
確かに思う。
でもそれは企業の宣伝に乗せられて欲望が活性化した感情でしかなくて、本当の主体性ではない気がする。
特に「みんなで何かやろう!」ってなった時に、「これやりたい!あれやりたい!」と、本心で堂々とそれを大勢に向かって主張出来る人って一握りくらいだと思うんだよ。
多くの人は自分が本当に欲している物が何かわからない。思い浮かんだとしてもいまいち自信がない。
それだったら自分の要求は控え目にして、はっきりと自己主張出来る誰かに決めてもらった方が楽だと思っているはず。
選挙の投票にしても、本当に自分で決めた候補者に投票してる?
自分が所属する組織の上の人間。
その人が決めた候補者に入れてない?
周りに合わせてなんとなく選んでない?
芸能人のあの人が応援してるからとか、専門家がそう言うならとか。
そんな理由で投票している人って多いと思う。
候補者側もそんな大衆心理を理解しているから、巧みなメディア戦略で選挙活動をする。
そうなったら選挙資金の多い候補者が圧倒的に有利だ。
全候補者選挙資金一律、メディア露出時間、時間帯が一律じゃないと、公平な選挙活動って言わないと思うんだけど、どうだろう?
その上で自分で自発的に政治の勉強をして、候補者全員の演説にしっかりと耳を傾けて判断出来る人がどれだけいるか?
おそらく一握りだけだと思う。
投票しても、自分で代表を選んだ責任を負えない人が大半じゃない?
自分の選んだ代表が間違った方向に国の舵を取った時、自分が選んだという責任を手放す人が大半じゃない?
僕自身がそういう人間だよ。
選挙に行ったのは過去2回だけ。
1回目は地元の町長選で父親に頼まれたから投票した。
2回目は三宅洋平さんが出馬した2016年の参議院選挙。
個人的に三宅洋平さんが好きだったから応援した。
それだけ。
そもそも政治に興味がない者が政治を理解するのは難しい。
他にやりたい事、やらなきゃいけない事がある中で勉強するのは面倒だし、国会中継もオッサンとオバハンの感情的な討論ばかりで退屈だ。
テレビもバラエティー以外はほとんど観ない。
街頭演説もうるさいだけで、内容がまったく耳に入らない。
選挙ポスターも素通りだ。
候補者の名前すら知らない状態をもう何年も続けている。
だから当然誰に投票していいのかわからない。
わからないから当然参加しない。
どう解釈したらいいのか悩む硬い文言の条文などを見ると吐き気がする。
そんな僕みたいな人ばかりだったら民主主義の意味なんかないよね。
不満がありつつも、お上の決めた事に「はいはい」と従っちゃうのも、結局そっちの方が、自分では決められない優柔不断な人には精神的に楽だからだ。
優柔不断な日本人には職業選択の自由も重いし、経済的自由、表現の自由も重くなる。
天職は見つかった?
適職は見つかった?
みんな自分で選んだ会社に濃き使われて苦しんでるんじゃない?
お前は農民の子だから農民の人生を歩んで、国のために貢献しなさい
そんな感じで予めお上に人生設定を決めてもらった方が、「迷わず行けよ。行けばわかるさありがとう」な人生だったんじゃないかな?
江戸時代の日本はまだ民主国家じゃなかったけど、世界有数の経済大国で、その豊かな生活ぶりと国民性に関しては、日本を訪れた西欧人から高い評価を受けていたらしい。
それが本当なら現代の日本社会も士農工商みたいに、お上が定めた世襲制を、自分に与えられた役割だとして精進すればいい。
それを全うする方が日本人の精神性に合った生き方が出来たんじゃないのかな?
民主主義だろうが、封建主義だろうが、多くの国民が望むのは自分たちの生活を優先的に守る事。
鎖国でガラパゴス化していた江戸時代の日本が、幸せな国家運営の完成形だったのかもしれないよ。
民主主義は天皇の下でうまくまとまって幸せに暮らしていた日本人の弱体化を謀る西欧の罠だったんじゃないのかな?
そもそも国や社会がなかったら、ルールが何もないわけだから、嫌でも主体的に生きるしかない。
必然的に全部自分で決めなきゃいけない。
現代人のどれだけの人がそんな暮らしに耐えられるのか?
ほとんどいないと思う。
社会変革を起こせる人、歴史を変えられる人は、いつ死んでもいい覚悟を決めて主体的に生きられる人だけだからね。
だから覚悟も主体性もない民主主義の選挙で自分の人生をどうこう変えられるなんてさっぱり思わない。
主体性のない民はいつも流されて翻弄されるだけ。
社会に時代に翻弄されるだけ。
一度でもドロップアウトすれば、それは頭で考えなくても肌で感じる。
嫌でも体感する。
そして社会復帰するまでの一時自由を得る。
死と隣り合わせの自由だから、僕みたいな人間でも優柔不断ではいられない。
社会に身を置いてシステムに依存しちゃうから、大半の人は優柔不断なのかもしれないね。
社会に身を置いた時点で大半の人は主体性なんかなくなるんだから、この国に民主主義はやはり意味がない気がする。

【日本国憲法前文改め、散文】

日本国民は、正当に選挙されない国会における代表者を通じて行動し、自分と自分の子孫のためだけに、諸国民との同調圧力による成果と、わが国全土にわたって不自由のもたらす損害を負担し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こるかもしれないことを覚悟し、ここに主権が国民に存じないことを諦念し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の怠惰な委託によるものであって、その権威はボス猿に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利はボス猿がこれを享受する。
これは人類普遍の本能であり、この憲法は、かかる本能に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を模索しなければならない。
日本国民は、恒久の平和を妄想し、人間相互の関係を支配する強力な本能に無自覚なのであって、平和を愛する諸国民の不正と欺瞞に憤慨して、自らの安全と生存だけを保持しようと決意した。

われらは、平和を維持出来ず、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から未だ除去出来ずに悩んでいる国際社会において、名誉ある地位を一人占めしたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏に晒され、暗雲のうちに生存する権利すらなくなることを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視するのであって、政治道徳の法則は、懐疑的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を放棄し、他国と対等関係に立とうする各国の茶番であると信ずる。
日本国民は、自分の良心にかけ、全力をあげてこの壮大な虚構と幻想を打破することを誓えなければ到底幸せにはなれない。







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