エッセイ

3.11の時

投稿日:2021-03-13 更新日:

3.11の時に味わった感覚を記憶を頼りに忠実に書きたい。以前も一度書いたけど、あまりうまく書けていなかった。

あの日僕は東京の市ヶ谷にあるオフィスビルにいた。
某パソコンメーカーの総務課で働いていて、作業が一段落したからトイレに入っていた。
そしたら揺れた。
今まで生きて来た中で一番大きな揺れ。
トイレの中なのに船が揺れているみたいな感覚。トイレの四隅のパネルが、揺れる度にパコパコ外れていた。
首都直下型地震だ!
そう思って便器にしがみついた。
外の廊下で女性の悲鳴がした。
それまでは焦りだったけど、悲鳴を聞いた途端恐怖が襲って来た。
外に出たら何人か死んでるかもしれないと思った。
しばらくしたら揺れが治まったので、外に出た。
幸い死んでる人やケガをしている人はいなかったけど、みんな動揺していて、壁に大きな亀裂が入っている箇所が幾つかあったり、やはり相当な震度の揺れだと思った。
総務課に戻ると、普段希薄な関係の人たちがみんなで集まってテレビのニュースを見ていた。
揺れが治まると、人は安堵感からなのか?「怖かったね」「ヤバかったね」とか言って、何故かみんな照れ笑いする。
オレ、慌てて机の下にすぐ隠れたよ!」とはしゃぎ、どうでもいい事を武勇伝のように語る先輩もいた。
なんだ、それ、どうでもいいよ、と思いつつ、僕も愛想笑いを浮かべながら、ニュースが伝える各地の被害状況を観ていた。
首都直下型どころか、被害の規模は関東から東北にまで及んでいる。
宮城沖地震も同時に起こったのだろうか?
まだ東日本大震災という名前がつく前だ。
地震の全容がわからない不気味さの中、また何度か揺れる。
テレビの地震警報と社内中のケータイの警報が一斉に鳴る様子が只事ではない事態を煽る。
社内アナウンスが作業の一時中断と、地震の状況がわかるまでの待機指示を出したので、総務課の僕たちはそのままテレビを観続けた。
宮城県仙台の様子。
ニュースの映像が以前住んでいた都市の風景を重点的に映し出した。
波の強い塩釜港。
津波がどうとか言っていたけど、何が起ころうとしているのかよくわからなかった。
波がどんどん強くなっていく。
上空からの俯瞰した映像だと実際どれくらいの波なのかよくわからないけど、側でみんなが「ヤバい」とか「あっ!」とかリアクションしていた。
港に停泊している船が激しく揺れて、濁流がゆっくりと、船やら車やらを陸の方に押し流した。
近くの建物も崩壊して飲み込まれていく。
うわぁ、すごいね、何だこりぁ
驚きつつ、他人事のように笑う人もいた。
仙台には以前住んでいて、知り合いや友達もいるのに、僕も実際他人事のように津波の映像を観ていた。
何が起きてもテレビを観ているこちら側はとりあえず今安全なのだ。
テレビに映っている映像を観ている間は当事者じゃない。
今、目の前のテレビで起こっている出来事が事実でも、リアリティをあまり感じなかった。
映画を観ているような感覚でしか津波を観ていなかった。
知り合いと友達の安否もその時点では気にならなかった。
とりあえず実家にだけは電話してみたけど、繋がらなかった。
その日都内も交通マヒ状態だったから、遠方から出勤している人たちは帰宅難民になって会社に泊まる事になった。
市ヶ谷から吉祥寺までも結構距離があったけど、次の日はとりあえず休みになったので、18時過ぎくらいまで会社に待機して、それから歩いて帰る事にした。
会社が用意していた災害用の水と乾パンをもらって外に出た。
吉祥寺には早稲田通りを真っ直ぐ歩けば着くけど、どれぐらいで着くかは見当がつかなかった。
大勢の人が街に溢れていて、混乱しつつ、突然訪れた非日常的な事態を、不安ながらもどこか楽しんでいるように見える。
東京の被害は実際大した事無く、免震構造のビルの中だったからひどい揺れに感じただけだったんだろうか?
でも九段下会館の古い建築物が崩壊して犠牲者が出たとか、そんな話も飛び込んで来る。
コンビニに行ったら、食料品がほとんどなく、缶チューハイと柿ピーを買って、飲みながらホロ酔いで歩く。
飲食店はわりと開いていたけど、どこも混んでいて、明日からの食糧ヤバいかもな、と思った。
待ちに待った非日常。
生きていれば絶対に楽しいはず。
明日は休みだし神楽坂あたりの居酒屋に入って一杯やりたくなった。
でもどこも満員なので、またコンビニでお酒を買って飲みながら歩いた。
働くだけで特に何も起こらないような日常を生きている人間は、非日常だと逆に生き生きして来るのかもしれない。
満員電車からの解放。
どうでもいい人間関係からしばらくの間解放されるのだ。
正直この事態が嬉しかった。
早稲田通りをひたすら歩きながら、途中で実家と仙台の友人に何度か電話した。
まったく繋がらない。
さっきテレビで見た津波の様子だと、仙台にいる知り合いたちの生存は早々と諦めた方がいいと思った。
今後の東京もどうなるかわからないし、大都会で頼れる人もいない。
安否確認が取れない他者よりも自分の身の安全を第一に考える。
僕はそういう人間だ。
家族や友人が全員死んで天涯孤独の身になった時に備えてとっとと感情を殺す。
取り返しのつかない悲しみとか寂しさが襲って来る前に今のうちに感情を殺しておく。
一人でいる時間が長くなると、会っていない人間は死んでいるのと大して変わらなく思えて来る。
何かきっかけがないと思い出す事もない。
僕はそうやってすぐに割り切れる人間だ。
とにかく腹が減っていたから吉祥寺に着いたら蒙古タンメンを食べようと思った。
3~4時間歩き通して、22時くらいに吉祥寺へ着いた。
運良く中本が開いていたので蒙古タンメンを食べる事が出来た。
実家と友人には結局その日電話は繋がらなかった。
後日電話が繋がり、連絡先が分かる友人、知人に関しては全員安否の確認が取れ、無事だった。
だから毎年3.11の日になっても、僕個人が特別黙祷するような事はない。
親しい人たちがみんな生きてたんだから祈る相手がいない。
あの日東北で震災を体験した人たちは、みんなリアルに当時の事を語る。
当事者としての圧倒的な感情を一生の思い出のように生き生きと語る。
不謹慎だけど、僕はそんな凄い体験をした人たちを羨ましく思う時がある。
あの震災ですら僕は一人蚊帳の外から眺めていただけだった。
10年も経つと、震災関連の報道でも目にしない限り日付すら意識しなくなった。
非日常的な震災で人が大勢死ぬのは当たり前の事だし、短時間で大勢の人が一度に死んだからビックリしただけなんだと思う。
そうでなくても事件事故自殺などで、毎年多くの人が亡くなっている。
震災ほど特別なエピソードも思い入れもなく、日常的に人が大勢死んでいる事実がある。
3.11になると日本人は努めて感傷的になるけど、遅かれ早かれ人は死ぬ。
餅を喉に詰まらせても死ぬけど、そういう死に方だと滑稽だとみんなに笑われ、津波に流されれば悲劇だと、大勢の人に悲しんでもらえる。
でも僕は家族も友人も無事だったから、悲しくない。当事者じゃないので悲しいふりも出来ない。
それが僕の3.11。
あの日みんな目が覚めた気がしたと思うけど、本当は未だ誰も目が覚めずにまだ虚構の中にいるような気がして、時々ふと可笑しくなる。







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