僕はテレビもネットもあまり見ない。
そうすると、自分の生活圏である日常からしか情報が入って来ないので、概ね平穏な日々を送る事が出来る。
でも一度テレビやネットを見出すと、そこには連日不幸な事件や不快な社会問題が映し出される。
そして僕の日常もメディアが醸成する世の中の空気に引っ張られるように暗澹としたものになっていく気がするから質が悪い。
それでも以前よりは余裕があるけど、長年慣れ親しんでいるのは、やはり幸福よりも不幸の方で、その臨場感は幸福よりも遥かに強い。
特にイジメや自殺のニュースなんかは、過去の自分にも関わりがある事なので、興味が湧いてしまう。
僕は不幸なニュースを見る度に、「気を抜いたらダメだ」と自分の身の回りの出来事を注意深く観察するようにしている。
過去に仙台のアーケード街で自動車が暴走する事件があったけど、あの日僕は地元に帰省するために、高速バスに乗ろうと、現場のすぐ近くのバス停に向かっていた。
アーケードの入口にパトカーが何台か止まっていて、とても騒がしかったのを憶えている。
その時は何があったのか分からなかったけど、あとからニュースで暴走した自動車がアーケード街に侵入し、そこにいた人たちを殺傷した事を知った。
【アーケード街の自動車暴走事件の概要】
2005年12月25日午後6時50分ごろ、仙台市青葉区1番町3丁目のアーケード街「マーブルロードおおまち」で乗用車が暴走し、通行人らが次々にはねられた。
子ども3人を含む7人が負傷し病院に搬送されたが、いずれも軽傷。
仙台中央署は業務上過失致傷と道交法違反(ひき逃げ)の現行犯で、乗用車を運転していた仙台市太白区郡山のトラック運転手を逮捕した。
トラックを運転していた容疑者の男は同署の調べに「宮城や東京のテレビ局と新聞社に犯行予告のメールを送った」と供述していたが、メールには「職場でいじめを受けている」などと書かれていた。
この事件は僕が当時勤めていた会社と関連があり、面識はないけど容疑者のトラック運転手は僕が勤めていた会社にも運送で来ていた可能性がある。
事件後、僕が勤めていた会社に警察の人が訪ねてきて、容疑者の運転手がいう“イジメの事実”があったかどうかを職員の何人かに事情聴取したらしい。
その後の詳細はわからないけど、僕はイジメの事実はあったと思う。
理由は僕が職場で普段関わっている人の中に、この人かもしれないと思わせる該当者がいたからだ。
僕はその人をいつも警戒していて、出来るだけ距離を置いて付き合うようにしていた。
もちろん好きではなかったし、僕以外の人もみんな何かしら嫌悪感を持っているようだった。
その人は関連会社から出向して来たリーダー的な立場の人だったけど、休憩室で会う度に誰かの悪口や愚痴ばかりをこぼしていた。
とにかくありとあらゆる不満を人にぶつけまくっているような人で、そのせいか顔の表情が異常に険しく、眉間に寄った皺はそのまま死ぬまで取れないんじゃないかと思うくらいに固定されていた。
毎日まともにこの人の相手をしていたら、病んでもおかしくない。
悲しいのはイジメられていたトラック運転手が、まったく無関係な人を自動車で引き殺そうとした事だ。
人はイジメられると世界の全てが敵に見える。
トラック運転手もおそらくそうだったと思う。
遠くで誰かが笑っている姿は自分に対する嘲笑にしか見えず、物陰から声を潜めて語られる会話の全てが自分に対する悪口に聞こえてしまう。
そうやってどんどん疲弊し、やがて世界が悪意の吹き溜まりにしか見えなくなる。
その人を取り巻く“イジメ”という現象がなくなっても、一度傷ついて世界を敵視してしまった人の人生は大抵がボロボロだ。
どこに行ってもイジメの幻がついてくる。
並大抵の努力では容易に這い上がれないので、潔く死ぬか、「誰か一緒に死のうよ」みたいな発想になってもおかしくない状況で彼らは生きている。
いわゆる無敵の人。
今後も歯止めがかからないであろうこの手の不幸なニュースを前にして、僕はいつも「僕は助けてあげられないけど、気持ちはよく分かるよ」とただ同情する。
そしてなるべく人の悪口は言わないようにしよう、周りに人がいる時は多少おかしな事があっても不用意に笑わないようにしようと、自分に言い聞かせている。
彼らには人の幸福な姿さえ毒になる。
だから僕はなるべく調子の良い時も不幸なふりをして、少しずつ社会から離脱し、人知れずひっそりと幸福になりたいと思っている。