僕は人の死に関わるたびに「自分は天寿を全うしたい!」という思いが強く湧く。
人には自分の本分(好きな事、得意な事)に従った生き方というものが必ずあるはずで、それを人生の終わりまで貫徹する事が出来ればポックリと死ぬ事が出来るのではないか?
そう思うのだ。
自分の本分に従って生きていれば、たとえ劣悪な環境でも毎日が充実して、幸福を実感できると思っている。
そしてそんな人の死に際はきっと潔くて穏やかなものだろう。
人は長生きすると“大往生”だと言われるけど、僕はたとえ100歳まで生きたとしても、それが病死や事故死などの暗く湿った締め括りであれば大往生とは呼べないと思う。
現代では病院のベッドの上で管だらけの延命処置を施されながら死んでいく人が多い。
僕は本来、人の死は“ポックリ”とか“ピンコロ”と呼ばれる死に方が正しいと思っている。
どれだけ親しい家族の死であっても病院のベッドの上で管だらけになり、
「ハァ……ハァ……」と、か細く生き長らえている状態を見ると、どこか白けてしまう。
「今までありがとう」という感謝の気持ちの前に、
「人生の最後だというのに何て様なんだろう」という、憤りに近い感情が先行する。
真面目に働いて所帯を持ち、世のため人のため、家族のために頑張った父親や祖母の死でさえもそうだった。
二人とも結局癌に犯されて病院で亡くなり、父方の祖父も長生きはしたけど、ずっと家で寝たきりの状態を続けてから亡くなった。
終わり良ければ全てヨシ!
長生きは良いことだとは思うけど、どんな死に際だったか?の方が僕にとっては重要だ。
死に際はその人の人生の結果発表の瞬間であり、それが哀れだったり醜かったりするということは、きっとその人の人生には嘘の部分が多く、満足よりも後悔の方が強かったんではないか?と、勝手に推測してしまう。
そんな不甲斐ない死に際が多い中、唯一僕の母方の祖父だけは最高に素敵な死に方をしたのをおぼえている。
母方の祖父は地元で八百屋をやっていて、夕方くらいに仕事が一段落した時、「ちょっと一服してくる」と、母方の祖母に言ってから茶の間に入った。
そして祖父の定位置である座椅子に腰を降ろしてタバコを一服してから、そのままポックリと亡くなった。
祖父はそれまでずっと健康で、急な用事以外はほとんど毎日店を開けていた。
僕は祖父の死に際に立ち会っていないけど、買い物に来ていた僕の母親と母方の祖母が祖父の死に際に立ち会った。
穏やかな笑顔を浮かべた死に顔だったらしい。
一服していたタバコも奇跡的に吸いきっていて、どこも焦がすことなく灰皿の中で消えていた。
「今なら死んでも誰にも迷惑がかからないな……」
そんな感じでタイミングを計ったような完璧なまでのポックリ死。
僕が思うにおそらく祖父は自分の本分に従って悔いのない人生を送ったので、死のタイミングを自分で図る事が出来たのではないだろうか?
僕は祖父がどんな人生を歩んできたのかを詳しく知らない。
でも戦争を体験している時代の人だから、当然紆余曲折、山あり谷ありの人生だったはずだ。
それでも自分の本分を見失わずに、八百屋という商いを通じてそれを貫徹したんだろう。
その見事な死に際を見れば、絶対にそうだと確信出来る。
つまりポックリやピンコロ死は天寿を全うした証として許される、尊い死に方。
祖父の葬儀ではみんなが笑顔で涙を浮かべながら「爺ちゃんよかったね、爺ちゃんよかったね」と声をかけて祖父を見送っていた。
その潔くて穏やかな祖父の大往生を思い出すと、孫である僕もそんな死に方が出来るような気がして心強く、改めてそんな偉大な先祖に対する尊敬の念と感謝の気持ちが湧いて来た。
人にはみんなそれぞれ事情があるけど、遺族に悲しみをもたらすような死に方は出来ればして欲しくない。
僕は100号くらいのキャンバスに傑作の絵を完成させ、陽気な天気の縁側か、ビーチパラソルを立てた砂浜なんかにいる時に死にたい。
自分の妻と、息子、娘夫婦が孫たちと楽しそうに戯れている様子を見守りながら、アイスコーヒーかトロピカルジュースを一啜りして、フッ、と逝けたら最高だと思う。
あしたのジョーみたいに燃え尽きる感じの死に方でもいい。
僕はそんな大往生を望む。