あらすじ
山里に住む若者アシタカは、怒りと憎しみにより“タタリ神”と化した猪神から呪いをかけられてしまう。呪いを解く術を求めて旅に出るアシタカはやがて、西方の地で“タタラ”の村にたどり着く。エボシ御前が率いるその村では、鉄を造り続けていたが、同時にそれは神々の住む森を破壊することでもあった。そして、そんなタタラ達に戦いを挑むサンの存在をアシタカは知る。人の子でありながら山犬に育てられた彼女は“もののけ姫”と呼ばれていた……。
監督:宮崎駿
キャスト:松田洋治,石田ゆり子
この世で一番安全な場所があるとすれば、それはきっと母親の胎内だ。
だから人は生まれて来る時に、その安全な場所から引きずり出される恐怖と不安で泣き叫ぶ。
得体の知れない世界と得体の知れない自己の存在。
ここがどこであるか?
自分が何者であるか?
それを一番はじめに教えてくれるのは母親。
母親とのスキンシップを通してそれが徐々にはっきりしてくる。
母親という大きな宇宙が、たった今誕生した小さな宇宙に、限りない母性で無条件の愛を示した時、この得体の知れない世界と自己という存在が、信頼出来る確かな実存になる。
僕は心臓疾患を持って生まれて来たので、生まれてすぐに母親から引き離された。
そしてそのまま物心つくまで大学病院に入院していた。
僕が長年抱えている厭世観やこの世界に対する不信感の原因は、おそらくこの幼児期に母親と離別していた体験のトラウマだと思う。
限りない母性が持つ無条件の愛。
それを実感できなかったのかもしれない。
僕と同様に幼児期にそれを実感出来なかった人がこの世界にはたくさんいて、今そんな人たちの悲鳴があちこちで上がっている気がする。
限りなき母性によって誕生時のトラウマを解消出来た子供は、大人になってから強い母性と父性を発揮する事が出来る。
僕は宮崎駿さんの作品や倉本聰さんの北の国からシリーズ、そして宮本輝さんの文学作品が好きだ。
この方々が創作する作品テーマの根底には常に母性的なものに対する信頼があるような気がしていて、僕はこの方々の物語に登場する女性像によって、自分に一番不足しているものが母性的なものに対する理解と信頼だと思った。
特にジブリの作品は強い母性を持つ女性キャラが多い。
その点男性キャラは女性キャラよりもいくらか弱い印象があって、男女共に親が不在の設定が多いけど、母性への信頼があるキャラには、成熟した強い大人の印象を受けた。
例えば母親が不在の状態で幼年期を過ごしたパズーとハウルは、個々の冒険に必要なスキルを十分に身に着けているにも関わらず、母性への信頼が揺いでいるためか、物語の中で挫折を味わう。
しかしシータとソフィアの母性が二人を守護している事を知ると、母性に対する信頼が回復し、その後挫折を乗り越え、個々の冒険を遂行する。
一方で『もののけ姫』のアシタカは、エミシの民(縄文文化)が形成する母性中心社会の中でヒイ様(卑弥呼的女性リーダー)による母性の加護を受けている。
だから母性に対する信頼の揺らぎがなく、苦難に遭っても一度も挫折しない。
自然界を守ろうとするサンの母性と職業的差別を受けたタタラ場の人たちを守ろうとするエボシの母性は、共に一度人間社会から捨てられた母性であるがゆえに深く傷付いていて、自分たちが守ろうとするもの以外に対しては荒々しい側面を見せる。
そこに自然と文明が共存したエミシの民であるアシタカが仲裁に入り、二人の母性を回復させる。
僕は『もののけ姫』をそういう物語だと思って観た。
ヒイ様の揺るぎない母性の加護を受けたアシタカの父性もまた揺るぎない。
母性への信頼は、そのまま世界への信頼になる。
世界への信頼がないと世界の平和も願えない。
戦後生まれ世代の人たちは、自分たちの母親と密度の濃い体験を送る中でそれを強く実感してきたんだと思う。
ヒイ様のような卑弥呼的女性リーダーを中心に据えた縄文社会は一万年続いた。
これは母性への信頼がある社会は概ね平和で、誰しもが安心して暮らせる事の証明なのではないかと、僕は思う。
縄文時代の母性に対する信頼が、天照大御神という女神をこの国の最高神として祀る信仰として残り、その加護を受けた天皇陛下も強い父性を発揮してこの国を代々守って来た。
しかし国民が天皇陛下を象徴にして利用した結果、その守護が受け取れなくなり、僕たち日本人及び、日本はどんどん弱くなった。
伊勢神宮へ参拝に行くと、天照大御神には和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)という二つの側面がある事を知る。
僕は天照大御神の和魂からは母性を、荒魂から父性的なものを感じた。
そして天照大御神は女神でもあり男神でもある両性具有の神であると理解した僕は、人間も男女両方の性を持つと神に近い存在になるという寓意的な教えなのではないか?とその時思った。
生まれながらに男女両面の性質を持っている性同一性の人なんかは、ひょっとしたら現時点でもっとも神に近づいた人たちだと言えるかもしれない。
僕は宮崎駿さん世代の人たちが創った物語によって自分に不足しているものが母性への理解と信頼である事に気付く事が出来た。
だから強い母性を持った女性と知り合って、僕も出来る限り無条件で人に何か与える事が出来たら、誰かの母性、父性の回復に繋がると思う。
それを受け取った人が、次の誰かに無条件で与えて、それが循環するようになれば、縄文時代のような平和で安心な社会が実現するのかもしれない。