人間の人格と、認知の違いについて思う事を書いてみる。
僕は二重人格や多重人格の症例に限らず、人は誰でも幾つかの人格の型を持っていて、時と場合に合わせてそれを無意識に使い分けていると考えている。
普段優しい人が突然キレたり、普段怒りっぽい人が妙に優しくなったりする事があると思うけど、人間の人格は外部環境や状況によって変化し、過去の記憶を元に最適解の人格をその場で瞬時に選んでいるのではないか?
過去の記憶にない未知の体験をすることによって、人格はその数を増やし、記憶の中にストックされる。
人間の内面世界にあるのは本来意識だけで、人格の創造は人間の意識が生存本能に従って無意識に行う。
だからほとんどの人は自分の人格はほとんど変わらないものだと思っている。
おそらく人が初めて人格を持つのは物心がついてからだと思う。
理由は人間の意識(脳)がまだ物(現実としてある目の前にある情報)と心(想像上の情報)を区別する事が出来ず、人格の創造が困難だからだ。
従って人は意識(脳)が発達して物心がつくまでは統合失調症のような状態にある。
統合失調症のような状態では五感以外の感覚(第六感的な感覚)もフルに使って情報を感知する。
外部情報の中で五感(視聴覚、触覚、味覚、嗅覚)が可視化する事が出来ない情報(電波、音波、風景、建物が持つデザインの意図など)を意識が勝手に読み取ってしまうのだ。
例えるとポケモンGOの画面みたいに現実と仮想現実の映像が重ね合わさったような世界を認識しているような状態。
物心がつくと現実と仮想現実を分離させた世界を認識出来るようになる。
統合失調症の人が示す幻覚、幻聴などの症状は五感が可視化した外部情報と、五感以外が受け取った可視化出来ない情報が重ねて見えてしまった結果起こっているものだと思う。
読み取った情報の内容が生存の危機に関わるものであれば、不安やパニックになったりする。
情報の受信感度が高く、広範囲に及ぶものであれば、宇宙から来る電波やエネルギーなども感知出来る。
シャーマンや霊能力者の霊視や神託と呼ばれる現象は、宇宙レベルの情報を感知した結果得たインスピレーションによるものだと思う。
つまり統合失調症とは脳機能の障害で起きる精神疾患ではなく、普通の人が物心つく時に失ってしまった感知能力がまだ残っている状態にすぎない。
それを障害と取るか特質と取るかは社会の認識次第だ。
だから彼らの生き辛さは、現状の社会システムが病気や障害として拒絶し、排除、または矯正するか、特質、異能として受け入れて積極的に受け入れるかで変わる。
正常か異常かは誰にも決められない。
彼らには感知出来て、僕らには感知できない世界の認識の違いがあるだけの事だと思う。
現実世界の認識が違えば、その精神的体験もおそらく違うだろう。
人間以外の動物たちが認識している世界も僕らが認識している姿と違う。
自分と他人の認識の違いを理解して、他人が認識する世界を想像する。
僕はそれが自分以外の他者への理解につながると思っている。
僕は自分が正常だろうが、異常だろうが、毎日楽しければどちらでもいいと思っている。
世間が要求する正常を装って自分を殺すくらいなら、異常だと開き直って自分らしい生き方をしたがほうがよっぽどマシだ。
ただ自分だけが正しいと思っている狂った世界で孤立している人があまりにも多い世の中になったと思う。
僕自身もそうならないように、もっと他に交わって多様性を身に着けたい。