あらすじ
両親と共に引越し先の新しい家へ向かう10歳の少女、千尋。しかし彼女はこれから始まる新しい生活に大きな不安を感じていた。やがて千尋たちの乗る車はいつの間にか“不思議の町”へと迷い込んでしまう。その奇妙な町の珍しさにつられ、どんどん足を踏み入れていく両親。が、彼らは“不思議の町”の掟を破ったために豚にされてしまい……。
監督:宮崎駿
キャスト:柊瑠美,入野自由
TOHOシネマズで「千と千尋の神隠し」を観た。
大好きな作品。
DVDやテレビで何度も観た作品だけど、劇場では観たことがなかったので、大画面でその面白さを改めて確認して来た。
岡田斗司夫さんのYOUTUBEチャンネルに「千と千尋の神隠し」について深読みした動画がある。
僕はこの作品を、夢の世界や神話が持つダイナミクスな展開を宮崎監督独自の世界観でアニメ作品にした素晴らしい物語だと思っていたけど、この作品の背景には、ほとんどの視聴者がまったく気付かないであろう設定がある、と岡田斗司夫さんは解説する。
それは物語の中で、神隠しにあった千尋を助けるハクの正体が、実は昔、川で溺れ死んだ実の兄であったという設定だ。
岡田斗司夫さんのこの考察を踏まえたうえで、改めて「千と千尋の神隠し」を観ると、潜在的にではあるけど、確かに湯屋がある世界とハクの存在に色濃い死者の匂いや黄泉の国のイメージを感じ取る事が出来る。
ハクの本当の名前は「ニギハヤミコハクヌシ」。
物語では琥珀川の主の名前ということになっているけど、これは死んだ人間があの世で精進して神上がりした姿の名前でもある。
明治天皇を祀った明治神宮。
平将門を祀った神田明神。
日本の神道は死んだ人間の魂を弔って、その御霊が、関係性の深い土地や人を守護する神となるように恐れ敬い、崇め奉る。
ハクが千尋の実兄であった確証になる物はないけど、銭婆のところへ向かう電車の乗客の黒い影や、エンドロールの「おしまい」のカットに描かれる川底に沈む片方だけの靴、不自然なくらい千尋に無関心すぎる母親の態度などが持っている意味が何なのか?を考えてみると腑に落ちる。
おそらく千尋は自分に兄がいた事を知らない。
兄が川で溺れた自分を助けようとして死んでしまった事も知らない。
両親もその事を千尋に隠している。
ただなんとなく、昔誰かに助けてもらった微かな記憶があるくらい。
岡田斗司夫さんの考察では母親はその事をまだどこか根に持っているのだという。
ハクは千尋が湯屋に近づいた時に「来ちゃダメだ」と千尋に警告を発した。
そこは死者の国だからで、生きている者が近づいてはいけない場所。
銭婆のところへ行く電車も、昔はともかく今は帰りの電車がない。
ハクは湯婆に弟子入りして、あの湯屋で神になるための修業をしていたのだろう。
でもおそらく自分の不幸な死によって機能不全に陥った家族に未練のようなものがあり、精進しても神になり切れずにいたのかもしれない。
その縛りを解くために、生者である妹の千尋が黄泉の国にいる兄に会いに行く。
自分を助けてくれた亡き兄を思い出し、きちんと弔うために。
それがハクが神上がりする手助けになる。
そしてそれは機能不全に陥ったままの家族を助けるためでもある。
日本人に馴染みのある古事記のイザナミとイザナギを彷彿とさせる構造がこの物語には隠されていて、再度劇場でその深層を味わった。
宮崎駿監督がそういう意図で作ったかどうかはわからない。
岡田斗司夫さんの考察も凄いけど、こんな奥深い構造の物語を、大衆娯楽の域を出ずに、無意識に観客に刷り込んで感動させているとしたら、やはり宮崎駿監督はとてつもなく偉大な人だな、と劇場で観て改めて思った。