あれはいつだったろうか?
僕の父親の友人が、僕の祖母の膝にもたれて、オイオイと泣いていた事があった。
地元の街役場に勤めている立派な大人。
スーツを着て、きちんとネクタイを締めて、自分の家族はもちろん、町のためにいつも奮闘しているような大人。
内実は分からないけど、少なくても小さい頃の僕にはそう見えていた大人の小父さんが、なぜか僕の祖母の前でオイオイと泣いていた。
まるで幼子が実の母親に甘えるようにだ。
僕の実家は食堂で、お酒も扱っているから、夜飲みに来る人もいる。
その小父さんもはじめ食堂の方で飲んでいて、酔いが深まった頃にふらっと僕と祖母がくつろいでいた茶の間の方に上がって来た。
顔が真っ赤で、呂律も回ってなくて、ずっと深い溜息をつきながら、祖母に何か話かけていた。
要領を得ない話し方で内容も全然覚えてないけど、祖母が「そうが、そうが」とその小父さんの話を聞いていたら、突然泣き出したのだ。
『愛着障害』岡田尊司著。
その本によれば、愛着に問題を抱えている人たちには「何でも話せる安全基地」。
それがないらしい。
安定した愛着スタイルを持つ人たちにはあるらしいんだけど、何でも話せる安全基地がない人たちは、いつもたった独り。
頼れるものが何もない状態で、まるで戦場の中にいるような不安と恐怖を抱えながら日常を生きている。
あのお釈迦様も「何でも話せる安全基地」を持たない愛着障害であったらしく、僕の祖母なんかも家族と一緒に暮らしていても孤独な影がある人だった。
そんな苦悩と挫折の連続の中でたった独り生きて来たような人たちが愛着障害を克服したり、その途上である時は、自らが時折「何でも話せる安全基地」として、苦悩する人たちを癒す事がある。
祖母に泣きついた小父さんもそれまでたった独り、誰にも言えない悩みを抱え、誰にも甘えられない状況でずっと苦しんでいたのかもしれない。
大の大人だし、男だから人前でオイオイと泣くような真似は誰だってしたくない。
ましてや小さい子供の目の前でだ。
たとえ酔っていたとはいえ、自分の母親でない祖母と孫の目の前で恥もなくオイオイと泣くなんて本人も思っていなかっただろう。
でも僕の祖母にはそれを了承してしまう“何か”があったのだ。
「この人なら否定せずに聞いてくれる、ただ受け止めてくれる」
そういう気構えや姿勢のようなものを小父さんは僕の祖母から感じ取ったのかもしれない。
小父さんはそれに縋って、本当にオイオイと泣いていた。
そして泣き終わってから、本当にすっきりした顔をして食堂に戻って行った。
僕はそんな大人を見て驚いた。
大人は「大人」っていうだけで強いと思っていたから、普段どんなに辛い物を抱えて生きているかなど、その時は微塵も想像していなかった。
精一杯強がって、世のため人のためにみんな生きている。
それを了承してくれる人が近くにいれば幸いだけど、いない人は日々地獄のような人生を歩んでいるだろう。
カウンセリングの知識も技術も持たない祖母にしか縋れない事情が、あの時小父さんにはあったんだ。
祖母も自分に縋って来た小父さんを見て、どこか清々しい顔をしていた。
祖母に常にまとわりついている孤独が薄らいで、世界と繋がっている感じが確かにあった。
お釈迦さまも愛着障害の苦悩と挫折の果てに、悟りの境地を拓いた。
だとしたら僕も祖母のようになれるかもしれない。
人を救って、救われたい。
「何でも話せる安全基地」を持たない人たちは、その代替えとして文筆や芸術という創作行為を用意する。
だから「もっと素直に表現しなきゃな」なんて事を思っている。
そして「何でも話せる安全基地」になれるように今後も人と関わっていきたい。