才能を育てるのは難しいのに、才能は一瞬で潰れたりする。
僕は絵を描くのが好きだけど、問題が山積みのような煩雑な日常の中では、それを継続する事が出来なかったりする。
でも何かをきっかけにまた描きたくなって描いたり、また描かなかったりして、なんだかんだずっと絵を描き続けて来た。
僕はこれを「自分の才能だ」と自分に言ってあげたい。
誰にも評価されなくても描いて来ただろ?
生活の糧にならなくても描いて来ただろ?
立ち止まっても、結局お前は描くだろ?
卓越した技術も、確固たる信念も思想もない。
でもなぜか描いて来た。
それにはやはり理由がある。
僕は勉強もスポーツも苦手で、小さい頃から自発的にやっていたものは絵や文章を書く事くらいだった。
とにかく無性に楽しくて、父親や母親も絵だけは褒めてくれた。
ただ次第に上手く描けないと褒めてくれなくなり、自分なりになんとか上手くなろうと頑張って描いた。
上手く描けなくても、楽しそうに絵を描いている事を褒めてくれたのは祖母だけだった。
小学校の図工の時間、祖母が「うちの守り神だ」と言っていた近所の神社の絵を描いたら、担任の先生に「構図がいいね」と褒められて金賞をもらった。
勉強でもスポーツでも結果を出せなかった僕の初めての金賞。
素直に嬉しかった。
兄と妹の賞状しかない実家の居間の真ん中に堂々とその絵を飾ってもらって、祖母にも喜んでもらえた。
その体験がなかったら、僕はもう絵なんか描いてないかもしれない。
その時に味わった感動を再現したくて、ずっと描いているのかもしれない。
ただその絵には一つ汚点があり、上部を修正している。
クラスで隣の席だった女の子が不注意で僕の絵に墨汁をこぼしてしまい、白く塗りつぶして再度描き直したから、元の絵より下手な出来になってしまったのだ。
「せっかく金賞だったのに残念だったな」
先生はそう言って僕を慰めてくれたけど、泣いて僕に謝っている女の子は先生に慰めてもらえなかった。
彼女の絵は評価してもらえず、彼女の絵も墨汁で真っ黒になったのに、先生は特に気にする様子もなかった。
それ以来彼女はあまり絵を描かなくなった。
それほど好きではなかったのかもしれないけど、その出来事がきっかけで絵を描く事が嫌いになってしまったとしたら、残念だ。
自分の好きな物を自分で放棄してしまうくらいに彼女が傷ついたとしたら、金賞なんかもらわなければよかったとさえ思う。
そんな感じでほんの些細な出来事でその芽を見ずに摘まれてしまった才能がたぶん世の中にはいっぱいある気がする。
小さい頃に好きだったものを、大人になっても素直に好きでいられたら、とんでもない才能を発揮した人はたぶんもっといっぱいいたはずだ。
誰も「自分は何者か?自分には何が出来るのか?」などと迷わずに人生を決める事が出来たかもしれない。
僕の才能は祖母が守ってくれた。
だからまだ絵を描き続けられるんだろう。
もちろん褒めて欲しいけど、あまり評価を気にせず、自惚れず、これからも気が向いた時に絵を描いていきたい。