実家の母親だったり、地元の友達から久しぶりに電話がかかって来ると、みんな決まって「元気か?」「生きてるか?」と僕に声をかける。
僕はそれにいつも反射的に「元気だよ」「生きてるよ」と返事をする。
母親や地元の友達には嘘でも「元気じゃない」「死にたい」などとは決して言えないのである。
離れていてもお互いの事はよく知っているから、言葉に出さなくても、なんとなく現状を察する事が出来る。
「元気じゃない」「死にたい」などと言ってしまえば、みんな必ず心配してくれるし、話も聞いてくれるだろう。
ただ僕はこの人たちの前ではいつも笑って元気でいたいから、それを言いたくない。
この人たちの前だけでは弱音を吐きたくないという思いというか、プライドのようなものがある。
たぶん向こうもそれを理解してくれている。
それを理解して了承しているからこそ、いつも決まり文句のように「元気か?」「生きてるか?」と尋ねてくれているような気がする。
だから僕は毎回努めて明るく「元気だよ」「生きてるよ」と返す。
それで十分。
そうやってお互いに相手の声が聞けた時点でもうどこか安心している。
昨年末に実家に帰省して、家族と正月を一緒に過ごした時、小学生の姪っ子が宿題の書初めに「生きる力」という言葉を書いていた。
姪っ子はただ一生懸命書初めしていただけで、真剣に「生きる力」とは何か?などとは考えていなかっただろうけど、母親である義姉に見守られながら、丁寧に一文字一文字筆を置いていく姪っ子の姿は僕にとってまさに「生きる力」だった。
「この先何があっても健やかに長生きして。またこの子に会いたいなぁ」と、強く思った。
久しぶりに一緒に飲んだ友達も「また生きて帰って来いよ」と言って、いつも見送ってくれる。
僕も当然また会いたいから「おまえらも達者でな」と返して、俄然生きる気になって来る。
何かある度にぼんやり自分の未来を思い浮かべたりするけど、確かなものは何もないから、保証出来ない言葉ではある。
自分がいつ死ぬのか?とかも全然わからない。
相変わらず嫌な事も良い事もある。
思い通りに行ったり、行かなかったりして、浮いたり沈んだりする不安定な人生だ。
ただ今日も生きている、「今」という瞬間を生きている事に猛烈に感動したりする時がたまにあって、うまく言葉に出来ないけど、そういう思いをこのブログにちょっと書いてみたかった。
みんな元気? 今日も生きてる?