THE ブルーハーツが「48億の個人的な憂鬱~♪地球がその重みに耐えかねてきしんでる~♪」って歌ってた時から何年経つだろうか?
48億どころか、今地球の人口は70億人くらいになった。
地球がその重みに耐えかねて生態系が崩れ、自然は人間をはじめとする生物に対して厳しい猛威を毎年のようにふるっている。
人間にとって異常と呼べる気象が続けば、地球がヤバイ実感をみんな持っていると思う。
支配者層だろうが奴隷だろうが、生身の人間である以上、地球の脅威には誰も勝てない。
でも支配者層と奴隷とでは危機管理能力が大幅に違う。
奴隷にはコントロール出来ない事でも、支配者層なら出来る。
自然まではコントロール出来なくても、人知れず人口を調整することくらいは出来るだろう。
適正人数がどれくらいかはわからないけど、地球の生態系を正常に戻すには、世界の人口をこれ以上増やさず、むしろ大幅に減らす必要があると思う。
もし「あと何年以内に何億人減らさないと地球が破滅する」みたいな研究結果が出ていて、それに対する取り組みをすぐにでもしなければならないとしたら、この世界の支配者層たちは70億もの人間をどうやって減らすのだろうか?
そう考えた時に、世の中で起こるあらゆる出来事がその取り組みの一環のような気がして来るのは僕だけだろうか?
自分が支配者層だったら災害などの自然発生的な都合で減ってくれるのが一番良いわけで、ダメなら人道的に見える範囲で何か仕組んだりする事も当然あると思う。
支配者でも人間である以上血も涙もあるはずだけど、顔も名前も知らない世界の人たちを数値化して把握しているだけだとしたら、そこに情けは一切無用だ。
精神的負担もあまりなく実案し、実行出来る環境に常にいる。
たとえばAIが人間から仕事を奪って大量の失業者が出れば、生活が困窮して死ぬ人なんかも当然出て来る。
各国政府はそのような事態に対して「ベーシックインカム」のような政策案を出して、ある程度防ぐ努力はすると思う。
ただAIがAIに対して製品やサービスを提供しはじめたら、生産、販売、消費のサイクル全てをAIが担う事になる。
昨年ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『ホモ・デウス』を読んだ時に、そんな未来もある事を知って戦々恐々とした。
経済的活動に参加する余地がなくなってしまった人間たちの社会的価値ってなんだろう?
人間が関わらないのであれば、もう「経済」という概念自体がなくなってしまう。
いくら特殊な才能があって人間性が優秀でも、人間はAIを使役する一部の支配者層の人たちに「管理される」という概念の下でしか存在出来なくなるのではないか?
管理してもらえればまだ良い方で、ほとんどの人間は不要の存在として、何らかの形で殺処分される運命にあるのではないだろうか?
そんな事をずっと考えて苦悶した。
支配者層が直接的にその他大勢の人を殺処分するような段階になる前に、とにかく大量に死んでくれればコロナでも地震でも台風でもいい。
支配者層たちは常にそんな気持ちでこの世の中の出来事を眺めて調整しているような気がする。
陰謀論で騒がれる人間選別だって、内実は支配者層の愛する人たちかどうか?
ただそれだけで決まってしまうような気がする。
顔も名前も知らない人たちである時点で、僕たちはただの数字でしかなく、選別すらされない。
とにかく人口が大幅に減って生態系が元戻りになり、エデンの園のような楽園で愛する人たちとよろしくやりたい。
たらればの話ではあるけど、二日酔いの中、支配者層たちの気持ちをなんとなく想像してみた。