『Google秘録』を読んだ。
Googleの創業と発展までの経緯をかなり詳細に語っている。
創業者である、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは天才的な才能を持つオタク気質な人たち。
自分たちの作りたいサービスに対してすごく純粋だ。
ユーザーの使い勝手を第一に考えて、とにかく質の良いサービスを作ろうと考え、努力していた。
ただ二人とも世渡りが得意な方ではなく、会社経営に関しては採算度外視で、かなり無頓着なところがあったようだ。
Googleは今や世界中の人が日夜当たり前に使っている検索ツール。
興味、趣味、悩みなど、自分が気になるワードを検索して、ありとあらゆる情報を得ている僕たちは、同時に自分に関する詳細な情報をGoogleに提供している。
性癖やマイノリティな悩みなど、人には決して言えないような超プライベートな部分に関してもほとんど暴露してしまっている。
そしてそれはもう既にビッグデータ化されていて、そのビッグデータを元に、Googleはユーザー個人により最適化された情報やサービスを提供出来るようになっている。
Googleに個人情報を特定する権利を渡せば、もう自分で何も考える必要はなく、自分の人生のほとんどの事をGoogleが決めてくれる。
「どちらにしようかな?Google様の言うとおり」だ。
行ったら面白い場所、買ったら嬉しい物、便利な物、一緒にいたら楽しい人、気が合う人……
幸せな人生が送れる最適なライフプランをGoogleが何でも教えてくれる世の中にいずれなる。
ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンがどこまで自分たちの作ったサービスの未来を思い描いていたかはわからないけど、はじめGoogleはユーザーの個人情報に関しては特定せずに守る方向でいたようだ。
二人とも会社経営に関しては他の人に任せっきりで、Googleの未来の舵取りに関しても他人に委ねてしまった印象がある。
良いサービスを作る能力と、そのサービスを運用する能力は別。
ユーザーの個人情報を特定する権利をGoogleが持てば、個人の人生に一企業が深く干渉して来る事になる。
それが果たしてユーザーにとって幸せな事なのか?
その責任をGoogleはどこまで果たせるのか?
親兄弟、恋人、友人以上にGoogleの方が一個人にとってかけがえのないものになる。
主体性がなく、他人の判断、意思決定に不自由を感じない人にとっては幸せな事かもしれない。
でも自由意思を尊重する個人にとっては、たとえGoogleの判断、意思決定の方が正しくても不幸な事かもしれない。
Googleに人生を委ねる事を望むユーザーが増えれば、政府が関与して強制的に個人の情報を特定するような法整備を進めていくと思う。
一企業でしかないGoogleが全知全能の神としてこの世界の情報を支配する。
Googleが持っているノウハウと情報があれば、何でも出来る。
だから国としても、Googleに関与して国民を完全管理したいと思うのは当然だ。
国だけでなくGoogleの力が欲しい人たちはもっといっぱいいるわけで、運営する側の道徳観、倫理観が、そのまま今後の世界秩序として反映されていく。
それがどんな世界かは予想出来ないけど、どのみち人類が今以上に白痴化しているのは間違いないと思う。
そうでなくとも、そもそも人間には自由意思などない。
人間は神か何者かが創った奴隷でしかなく、集団に属する限り、支配するか、されるかの関係を続けるだけだ。それが人からAIに変わってもさほど大きな違いはないのかもしれない。
Google様の言うとおり
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執筆者:sukekiyo