哲学・思想

アドラーもお釈迦様も使えない

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アドラー心理学の『嫌われる勇気』がベストセラーになったけど、この本を読んで嫌われる勇気を持てたという人はどれくらいいるだろうか?
実践してみて、相手の課題と自分の課題を分離させ、実際に嫌われて、主体的に生きる自由を獲得した人はどれだけいるだろうか?
この本を読んだ人の大半は「人に嫌われるのが怖い人」だと思う。
人に嫌われるのが怖くて、みんなに好かれようと、誰に対しても良い顔しまう人たち。
揚げ句、適当な人間関係を作りあげてしまい、疲弊してしまった、僕みたいな人。
僕はこの本を読んでないけど、自己啓発系の本や動画をよく観るほうだ。
どうせ使えない、実践出来ない、効果がないのは十分わかっているけど、タイトルに釣られて、気になってつい手を出してしまう。
読んだ後に訪れる一時の満足感。
それが欲しくておそらく中毒になってしまったんだと思う。
自己啓発本は精神科の先生がくれる薬みたいなもので、不甲斐ない人生の根本治療にはならないけど、一時の倦怠感だったり、憂鬱な症状は和らぐ。
一時やる気が出て、前向きになれるもの。
効き目が切れたらまた新しい自己啓発に手を出す。
よく売れるものは使い捨て出来て、またすぐに必要になるものだ。
そもそも人に嫌われたくない人が人に嫌われる勇気を持つ必要があるのか?
人間誰しも自分が気になる人や好きな人には好かれたいと思うだろう。
僕は自分が好意的に思う人間にしか興味が持てない。
見た目、雰囲気、態度、考え方、発想。
理由はいろいろだけど、それ以外の人たちは正直どうでもいい。
でも自分が好意的に思う人の周りには、その人が関係を持っている人たちがいるわけで、自分が好意を持っている人とばかり仲良くやるわけにはいかない。
その人が関係しているどうでもいい人たちともある程度仲良くしていく必要がある。
でも僕は自分が好意を持っている人以外にほとんど興味が持てないワガママな人間だから、自分にとってどうでもいい人たちにコミットすると疲弊する。
場合によっては自分が嫌いなタイプの人間にもコミットしなければいけない。
これが死ぬほどウザイ。
死ぬほどウザイけど、対人スキルがあるから出来てしまう。出来てしまうけど、心の中では死ぬほどウザイと思っているから、積もり積もっていつかメンタルがブチキレてしまう。
最近、死ぬほどウザイ人間を無視した。
そして嫌いである事を本人に告げた。
突然だったからかなりショックだったと思う。
でも僕自身は精神的には楽になった。
嫌われる勇気を実践したというよりかは、心底嫌になってどうでもよくなった自暴自棄的な行動だから、それまでに構築した人間関係は諦めなければいけない。
また一人で再構築だ。
人を嫌う、あるいは嫌われると、それなりの損失がある。
嫌われる相手の力によっては、失う物も大きい。
仕事をもらっているような相手であれば仕事を失うし、コミュニティのリーダー的存在であれば、当然そのコミュニティを抜けないといけない。
行きつけの場所が一緒であれば行きづらくなったりもする。
それらのデメリットを天秤にかけて、嫌ったり、嫌われなければいけない。
人に嫌われると、人生の楽しみだったり生存に不利な状況が多々発生する。
それが嫌だから人は人に嫌われないようにする。
共感力を磨き、協調性を発揮しようと努力する。そして他者のために何かして承認欲求を得る。それが自信になって、他人との間に深い絆が生まれる。
だからアドラー心理学が提唱する「嫌われる勇気」は、しがらみを捨てて誰にも束縛されずに自分の人生を歩みたいタイプの人間にしか向いていないと思う。
嫌われる勇気」は外出自粛やリモートワークがさほど苦にならない回避型人類タイプの人には有効なアドバイスかもしれないけど、人に興味や愛着を示し、深い繋がりを必要とする共感型人類には毒にしかならないような気がする。
そもそも精神科医やカウンセラー、研究者といった職業についている人の多くは、会社勤めをしている一般の人よりあまり社会性がない環境に身を置いているから、一般的な悩みについての考え方がどこか偏っている気がする。
お釈迦様の教えを引用して人間関係のアドバイスをしているお坊さんにも共通するけど、他人に執着しないで生きよう的なアドバイスは、社会性をあまり気にせずに済む環境で生きて来た人だから言えるのであって、社会と関わりの深い人たちが実践するには無理がある。
お釈迦様は愛着障害を持った回避型人類だったから、家族や国を捨てて「悟り」を開く旅に出る事が出来た。
これが出来ない共感型人類に「この世はあるようでないのだから、目の前の現象に執着するな」などという空の教えを諭したところで、実感出来るはずがない。
哲学的教え、宗教的教えのほとんどは他人との関係に愛着を持たない回避型人類が一人孤独に生み出したもので、人との愛着に執着する共感型人類の不具合を改善し、しがらみを断った悠々自適な営みの方に社会を導くのが目的だと思う。
釈迦、ニーチェ、スティーヴ・ジョブス、ビル・ゲイツなど、今日の「個人主義の時代」は、人類が集団で生きる営みを終え、個人で悠々自適に生きていけるように、回避型人類が技術や哲学を発展させて、社会変革をさせて来た賜物だと思う。
だから僕みたいに集団生活が苦手な半分回避型の人間でも生きやすくなった。コミュニティを持たなくても、とりあえず死ぬ事はない。
ありがたい事ではあるけど、回避型人類のライフスタイルが主流になる未来が良いとは限らない。
社会変革で絆を断たれた共感型人類は今後ますます生きづらくなるし、それに合わせて回避型人類の子供が増える。
回避型人類は人との愛着を気にせず、快適な社会で超然と生きていく事になるけど、共感型の名残や共感型に対する強い憧れみたいな感情が、ある日突然発作のように絶望感や虚無感に変わって人々を苦しめるような、そんな未来になる予想もある。それでも人類が生き残ったら、遠い未来で人間は神になると思うけど、永遠不変なその孤独を想像すると、宇宙が誕生するくらいのフラストレーションが溜まるのも、なんとなく分かる気がする。







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