哲学・思想

死ぬ瞬間が幸福のピーク

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僕の脳は基本的にネガティブな思考をする。
理由は世界をいつも脅威的なものだと認識してしまい、そう実感しているからだと思う。
生まれてすぐに母親と長期間離別した経験により、僕は恐れ回避型の愛着スタイルを身につけたようだ。
大事な人や物を失う恐怖から逃れるために、なるべく一人で生きようとする生存戦略を脳が勝手に取っている。
人に頼ったり甘えたりせずに生きていかないといけないから、嫌な事や怖い事と感じた出来事を優先的に記憶するように出来ているんだろう。
その不快な記憶を頼りに、なるべく嫌な事や怖い事が起こらない言動や行動を学習して、少しでも快適に長生きしようとしているのだ。
世界が常に脅威的だと感じている以上、ネガティブな思考はどうしても避けられない。
楽しい記憶、嬉しい記憶は、不快な記憶の泥の中に沈んでいる。
どぶさらいをして砂金を見つけるみたいに、先に不快な記憶を思い出さないと、愉快な記憶をなかなか思い出せない。
でもたまにふと思い出す事がある。好きだった人の部屋に初めて行った時にご飯を作ってもらった事とか、遠出のドライブをした時に、好きな人が悪戯して僕の手にニベアクリームを塗ってドキッとした事とか、転んでケガした時に消毒して絆創膏を貼ってくれた事とか、僕のギャグでよく笑ってくれた事とか、そういう些細な事をたくさん思い出したりする。嫉妬したり、すれ違ったり、縁がなくて寂しい思いをする時もあるけど、好きな人を嫌いになった事はない。次に好きな人が現れたらその想いが上書きされるだけで、好きなまま記憶の底に沈む。
楽しい事や嬉しい事は、人生に何度でも起こって欲しいから、脳的にわざわざ記憶して学習する必要がないのだろう。だから普段はあまり思い出せないようになっている。
脳機能学的見解によると、人は死に至る時にエンドリフィン(多幸感をもたらす脳内の神経伝達物質)が洪水のようにあふれ出すらしい。
そうであるなら、人は死に抗い、苦しい思いをしながら生きつつ、いよいよ死を迎える瞬間に近づくにつれて、人生最大の幸福感を得ると言える。
それは何故なんだろう?
そしてそれはどんな体感なんだろう?
僕個人の考えになるけど、生存するために必要だった不快な記憶が全て必要なくなり、快感だった記憶だけが再編集されるような気がする。
死の間際になってまで、嫌な記憶や怖い記憶を再現する必要はない。それはより良く生存するために蓄えて来た記憶なのだから、死の間際には全て消去しても構わない。
むしろ死の間際だからこそ、走馬灯のように人生を振り返る脳内現象は全て快感でなければ、生きて来た甲斐がない。
脳は優秀な機能だから今まで頑張って来たご褒美として、死の瞬間にこそ最大の幸福感を与えてくれるようになっているんだと思う。
家族と過ごした時間、気の合う仲間と過ごした時間、一好きな人と過ごした時間、記憶を隅々まで探せば、見知らぬ他人からも、楽しい事や嬉しい事をたくさんしてもらったはず。
そんな記憶を脳がどんな些細な出来事も見逃さずに全て繋ぎ合わせて、最高にハッピーだった人生のドラマを死の瞬間に見せてくれる。そう考えたら死ぬのが怖くなくなり、ネガティブな思考のままでも、脳は秘密裏に楽しい事、嬉しい事のストックを増やしてくれていると楽観出来るようになった。
脳がエンドリフィンを出してハッピーエンドを約束しているのだから、どんな生き方でも人生の最後にたぶん後悔はないだろう。
また生まれ変わりたい」と思ってあの世へ旅立って行くだけだ。







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