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映画『ミッドサマー』ホルガ村コミュニティの正体?

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あらすじ

思いがけない事故で家族を亡くした大学生のダニー(フローレンス・ピュー)は、人里離れた土地で90年に1度行われる祝祭に参加するため、恋人や友人ら5人でスウェーデンに行く。太陽が沈まない村では色とりどりの花が咲き誇り、明るく歌い踊る村人たちはとても親切でまるで楽園のように見えた。

監督:アリ・アスター 

キャスト:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー

『ミッドサマー』は前からずっと観たかったんだけど、女性が集団でヒステリーを起こしているようなイメージにいくらか抵抗も感じていて、鑑賞を先伸ばしにしていた。
僕は女性が集団でいる時の状態に多少苦手意識があって、女性が集団ではしゃいでいたり、大声で悲しんでいたりする様子を見ると、その状況に圧倒されてしまう。
そもそも集団生活が苦手で、合唱コンクールでみんなの気持ちを一つにして歌うみたいな状況になると、なぜか居心地が悪くなったりしていた。
たぶん同調圧力が働いている集団の意思に染まっていくのが嫌なんだと思う。
でも映画を見始めたら、その点はさほど気にならなかった。
人が死ぬグロテスクな表現以外で、怖いとか、苦手とか、気持ち悪いといった感情はなく、むしろ90年に一度の大祝祭という伝統儀式の演出の方にずっと違和感や滑稽さみたいなものを感じながら観ていた。

ホルガ村がどんなに辺境な場所にあって、閉鎖的な空間だとしても、交通網や情報網が発達した現代で、まったく形骸化せずに伝統儀式を続けているコミュニティ自体が不自然だと思う。
僕もホルガ村出身で外の世界に出たペレ同様、田舎のムラ社会から他所の土地に住み渡っている人間だから、ムラ社会が形式する内側の常識と合理性を理解し、受け入れつつ、それを外から観察した時には、非常識で非合理的だったりする事がある事も理解している。
だから「生命のサイクル」という概念で、ホルガ村の年長者が崖から飛び降りたり、生物のタブーに触れる近親相姦を防ぐために外部の人間の種を受け入れ、公の場で性を解放する場面などを観ても、さほど驚きはなかった。
伝統儀式とはそのコミュニティの起源となる神話の再現なのだから、それが現代的な感覚でどんなに残酷で奇妙なものであったとしても、生まれた時からそのコミュニティに所属している人間の精神性は、当たり前の事としてそれを受け入れる事が出来る。
ただ交通網や情報網が発達して、外部の世界と接触があり、他所の世界の価値観も受け入れている状態のコミュニティであるなら、そういった残酷で奇妙な儀式が未だに存続されるという事はほとんどあり得ない。
それが儀式の本質であっても、現代的な感覚からズレている部分に関しては、現代の法のメスが入って修正され、どんどん形骸化していく。
僕は実際自分の田舎で行われる風習や祭りが年々形骸化していく様子を見て来た。
だからこの映画で描かれるホルガ村というコミュニティとその伝統儀式に関しても、始めからあり得ない設定として観察する事になった。
穿った見方ではあるけど、僕はホルガ村もその伝統儀式自体も全て模倣で、自己啓発を目的としたグループが、夏の間だけ実験的に行っているサマーキャンプみたいなイベントだと思ってこの映画を観た。
それなら形骸化せずに伝統儀式が行われている理由に納得する事が出来る。
自己啓発系のコミュニティが伝統儀式を模倣してドラッグや強いお酒を飲み、祈りや踊りで積極的に変性意識状態になった結果、集団心理療法を目的としたイベントがコントロールを失い、破綻してしまった物語。
あるいは、キリスト教がドルイド教などの原始宗教に対して行った魔女狩りへの復讐。そういうメタファーが、この物語にはあるような気がする。
キリスト教が魔女狩りを行った表向きの理由は、キリスト教以外の異端の宗教を信仰して、怪しい儀式を行ったからという事になってはいるけど、裏の理由は当時手に負えなかった精神疾患者の排除を目的としていた説がある。
そうやって視点を変えて見る「ホルガ村」は、北欧の原始宗教の伝統儀式を隠れ蓑にして、精神疾患者の集団自殺を促したり、殺人代行を目的とする、現代の魔女狩りコミュニティなのかもしれない。
僕は『ミッドサマー』をそういう怖い物語として観た。
イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』なんかを読めばもっとこの映画の解像度が上がりそうな気がするので、『金枝篇』を読んでからもう一度観直して、さらに考察を深めてみようと思う。

いつも読んでくれてありがとう。

映画『ミッドサマー』公式サイト







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