エッセイ

雑音とエビフライ

投稿日:

僕の心臓に聴診器を当てると、雑音が聴こえるらしい。

直接耳で聴いた事はないからどんな音かはわからない。

心臓弁膜症だったかな?

心臓の弁に欠陥があって、静脈と動脈が混ざってしまい、血液がうまく循環していない不安定な音。

そんな音だと思う。

命に危険がある病気だと診断されて、生まれてすぐに大学病院に入院した。

その時期の記憶はほとんどない。

ただなぜかはっきり憶えている出来事がいくつかある。

面会に来た母親が帰った夜、小児病棟の廊下の窓に張りつき、夜景を眺めながら、走り去る電車を見つけて大泣きした事。

母親不在の不安と苛立ちで眠れず、隣のベッドで寝ていた同じ病気の子の腕を強く噛んだ事。

そんな記憶がはっきりとある。

母親に会いたくて、病院から脱走しようとした記憶もあって、僕はみんなで過ごすベビールームから廊下へ出ると、知らない大人と一緒にエレベーターに乗った。

小さい僕にとって、大学病院は恐ろしく広かった。

病院の外にはまだ一度も出た事がなかったと思う。

知らない大人とエレベーターで降りて、とにかく一番下の階まで行けば外に出られると思った。

大学病院の廊下には赤、青、緑、黄色、白の5色のラインが引いてある。

それぞれの色を辿ると、内科、外科、神経科など、それぞれの病棟につく。

でも当時は漢字が読めなかったから、なんとなく青いラインを辿っていった。

全面ガラス張りの窓の向こうから日の光が燦々と降り注いでいた記憶がある。

白衣を着た人たちを見かける度に、連れ戻される気がしたからすぐに隠れた。

ラインを辿り、階段を見つけたら、どんどん下の階に降りた。

全面ガラス張りの窓の外に花が咲いていたので、そこが一番下の階だと思った。

廊下をぐるぐる回って外に出られそうな場所を探した。

外に出る扉を見つけ、外に出たのはいいけど、そこは大学病院の中庭だった。

花を植えた花壇と、水が流れている池とベンチだけがある。

どうやったらこの病院から出られるんだろう?

「ここで何してるの?」

中庭をうろうろしていたら、白衣を着ている人に声をかけられた。

「一人?」

頷いたら、元の小児病棟に連れ戻された。

大学病院には何歳くらいまで入院していたのか、正確にはわからない。

退院してからも年に一回、春休みになると必ず大学病院へ検診に行った。

春休みの病院は混むから、検診は半日くらいかかる。

祖母だけ家で留守番をして、朝早くから車に乗って家族みんなで行く。

兄と妹は、家族でのお出かけだから、いつもはしゃいでいた。

検診が終わったら、みんなでご飯を食べて、デパートで買い物したり、何かのイベントを観に行ったりする。

僕は午前中いっぱい精密検査を受けるから、朝から一人緊張していた。

大学病院に着くと、いよいよ病人である事を意識して、ずっと大人しくしている。

兄と妹は父親と一緒に大学病院を散策して、適当に時間を潰し、僕は母親と検診の列に並んで待った。

待合室は自分と同じ病気の子供と親で溢れていて、とにかく待ち時間が長い。

待合室の絵本や玩具で遊んで時間を潰してもすぐに飽きてしまう。

兄や妹と一緒に大学病院を散策したいんだけど、いつ呼ばれるか分からないので、検査が終わるまでは待合室を離れる事が出来ない。

たまに散策に飽きた兄と妹が待合室に顔を出し、「検査はまだか?」と急かして来る。

急かされる度に、僕の検査がなければ、丸一日家族で楽しい場所へ行って遊べるのにな、と申し訳ない気持ちになる。

ようやく検査室に呼ばれても、身体にいろんな器具をつけられると、まるで改造人間にでもなったような気がして、鬱屈として来る。

先生も両親も重い病気だとは言うけど、この検査さえなければ、僕自身が普段それを実感する事はほとんどない。

激しい運動をしたり、興奮したりすると心臓に負担がかかるみたいだけど、生まれた時からそれが当たり前の状態になると、自分では何が大変なのかよくわからないのだ。

たまに心臓が掴まれるような圧迫感を覚えるような時は確かにあるけど、すぐに治まるし、意識を失って倒れたりした事などは一度もなかった。

普段の生活にも支障がないのだから、もう毎年こんな大袈裟な検査しなくてもいいでしょ?と思うんだけど、先生も両親も「治らない病気だから、毎年一回は念のために検査が必要だ」と、病人扱いする。

だから僕はこの日、検査が終わるまできっちりと病人でいないといけない。

大人しく具合が悪そうな顔をして、憂鬱でいなければいけない。

そして両親に僕を病気で産んだ事を後悔させ、罪の意識を植え付けないといけない。

両親は両親でこの日僕に対して過剰に気を遣い、献身的に振る舞う事で、その後悔と罪の意識を払拭する。

そういう家族劇を毎年一回やっていた。

この日だけは兄と妹のワガママよりも、僕のワガママが最優先される。

憂鬱な検査を無事に終えたら、両親は僕がお昼に食べたい物を聞き、行きたい場所に連れていってくれる。

「やっと終わったな、何食べたい?」

全ての検査が終わるのは、だいたいいつも午後の1時を過ぎたくらいで、みんな腹が減っている。

大学病院の中には、売店や喫茶店やレストランもあった。

兄と妹は病院で過ごす時間に飽き飽きしているから、「外で食べたい!」と騒ぎ出すけど、僕はそれを遮って「また病院のレストランのエビフライがいい!」と、両親の手を引っ張ってレストランに向かう。

母親が作るエビフライはそんなに好きではなかったけど、僕は大学病院のレストランにある、タルタルソースがかかったエビフライが大好物だった。

検査が終わると、妙に気持ちがはしゃいで来て、みんながメニューを見ながら何を食べるか迷っている間、「早く決めて!」と、王様のように椅子にふんぞり返って、両親と兄妹をわざと急かす。

僕がここでワガママを言わないと、両親はもっと気を遣うし心配する気がした。

そんな気持ちでほぼ毎年この大学病院でタルタルソースのエビフライを食べた。

でも中学を卒業してから1人で検査に行くようになると、なぜかあれほど好きだった大学病院のエビフライをまったく食べなくなった。

地元を離れてからは検査自体にも行かなくなった。

念のために検査したところで、治らないなら行かなくても別に変わらない。

両親も兄妹もいつからか、僕の病気の事には全然触れなくなったから、たぶん忘れている。

僕すら健康診断の問診で聴診器を当てられないと、雑音の事はすっかり忘れている。

それでいい。

ただ洋食屋などに入って、たまにタルタルソースがかかったエビフライを迂闊に食べると、途端に思い出す。

美味しいし、別に苦々しい思い出でもないけど、食べている間はずっと病人である事を意識してしまう。

つい先日もエビフライを食べたら思い出してしまったから、なんとなくこのブログに書いてみる事にした。

それだけの話。

いつも読んでくれてありがとう。







-エッセイ
-

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。

関連記事

コロナになった

4月7日。仕事中、夕方くらいに熱っぽくなって倦怠感もあった。久しぶりの風邪かな?と思い、その日は早めに寝るも、次の日も症状が続くので、大事を取って会社を休んだ。1日様子を見るつもりだったが、大阪のコロ …

苺ちゃん

「ワタシ、変ですか?」 僕が10年近く住んだ古巣の仙台を離れて上京したのは、その言葉が口癖になってしまっている女の子との出会いがきっかけだった。 彼女とは当時やっていたブログを通じて知り合った。 僕が …

『オカルト原風景』人形が取り残された家

実家の二階にある床の間に、陶器で出来た老夫婦の人形と古いフランス人形があった。 どちらも母親が嫁いで来た時に、母方の実家から持ち込まれた人形らしい。 老夫婦の人形の方は、母方の祖父母に顔がそっくりだっ …

ゲームカウンセリングルーム『Sekureca bazo』

Sekureca bazoは“安全基地” 難波の道頓堀でゲームをやりながら、なんでも話を聴く部屋『 Sekureca bazo』運営しています。 『Sekureca bazo』はエスペラント語で「安全 …

よりによってココ壱で

「究極の選択なっ!カレー味のウンコとウンコ味のカレー、おまえはどっち食う?」 暇を持て余した友達がそんなしょうもない質問をして来た。 よりによってココ壱番屋で僕が必死に5辛のカレーを食べている時にだ。 …

祐喜代(sukekiyo)

PROFILE

PROFILE

祐喜代(SUKEKIYO)

大阪在住

社会に属しながら世捨て人として人生を謳歌するために、思索と創作表現などをしています。

ART、写真、小説を掲載しているHPはこちら↓

ART、写真、小説を掲載しているHPはこちら↓

嗤う狐の藝術

祐喜代『星空文庫』ページ

嗤う狐のYOUTUBEチャンネルはこちら↓

ネットSHOP

SUKEKIYOオリジナルアートSHOP

『AMS』はこちら↓

https://ams.base.shop/

 

スポンサーリンク